ダイヤモンドダスト(再掲)

寒風吹き込むその日、初恋のあの人と再会した。成長した彼女を見れた嬉しさの反面、自分の手に入れたかったものはことごとくその手からこぼれ落ちてしまう、世界の当たり前のシステムを再確認し、辟易する。挑発的な流し目を使い慣らすその姿は、男を知った証拠。それでも頰の皺が重なり目を隠すほどのあどけない笑顔は、昔から知る彼女そのものだった。

「今は、なんのゲームしてるの?」

僕との会話のキャッチボールを続ける唯一の方法は、ゲームの話題を投げかけることであるのを、彼女は覚えていた。

「モバイル、、、レジェンド、、」

まるで隠し金庫の在り処を吐く被恐喝者。あまりにも道端でかわす会話の声とは掛け離れた声色を乗せた僕の返答に空気は凍った。

(あっ死にたい)

凍ったかに思えた空気は陽光とも思える光に瞬時に照らされ、極度に熱せられ、そして気体へと昇華する。その現象の正体は、隣にいる彼女によるものであることは僕が証人だ。

「やってる!一緒にやろ!」



嘘か本当かわからない、本当の物語。


#モバレ文学


夢とは

今回ぼくが語るのは夢についてだ。夢といっても将来はサッカー選手!とかそんなんじゃなくて、寝ている間に見る夢の方だ。これについて、僕が小学生の時に経験した事柄から、夢の驚くべき本質について推察してみたいと思う。

最近、ぼくがはまっているシュタインズゲートというアニメ(原作はゲーム)では、夢は自分の別の世界線の記憶の断片というロマンチックな性質をはらんでいるようだ。しかし、皆が思うように世間一般では夢とはまあ、幻のようなものだとみなされていると思う。しかし、ぼくが小学生の時に見た、とてつもない夢について、ぼくなりに考察してみると、シュタインズゲートにも劣らない驚くべき夢の実態がみえてくる。これから話すぼくの見た夢というのは、絶対に妄想なんかじゃなく、曖昧な記憶がつくりだした幻でもないことを誓っておく。

2008年のある日、当時小学生だったぼくは今みたいに昼夜逆転もせず規則正しい時間に寝ていた。そんな日の深夜、大地震がおきる。世に言う「岩手県沿岸北部地震」だ。ぼくは突然、大きな揺れに襲われ、目を覚ます。そこはぼくの家よりはちょっとぼろい、木造の部屋の中。相変わらず激しい揺れは続いているーーー。体がびくっとする。目を覚ます。そこはいつも通りのぼくの寝室。おわかりいただけるだろうか。地震に揺られ見知らぬ部屋で起きたのは夢だったのだ。あーびっくりした。寝よう。そしてぼくが布団に入ると、激しい揺れに襲われる。今度は現実の揺れだった。

これをきくと、皆はまず予知夢、を思い浮かべるだろう。しかしぼくは違う視点からこの出来事を見ている。理系ではないから詳しいことは言えないが、地震の揺れがある地点からある地点までに到達するには数秒の時差がある。ぼくが夢の中で揺られ目が覚め、再び現実でも揺られるまでの体感の時間は10秒〜20秒だったと思う。もう何を言いたいかわかるだろう。ぼくの見た夢というのはぼくの地域よりも先に揺れが到達した地域の誰かの意識なのではないかとぼくは考えている。つまり、夢、という空間では誰かと意識を共有しているのではないか。思えば夢では確かに自分と縁のある人物が出てくることはあるが、自分が自分であると認識できているだろうか。ぼくは夢の中で自分の名前を言ったことがないように思える。その共有状態が、地震という突発的かつ明快なトラブルによって破られ、ぼくの手によってその本質の一部を暴いてしまったのではないかと手に汗を握らずにはいられない。

この記事が世界の裏を管理し、その秘密を探ろうとする者を消す組織の目につかないことを祈るばかりだ。

さようなら

ツイッターを削除してしまったから、きっとこの記事は誰にも読まれることはないんだろうな。それでもいいや。確かに僕と今まで関わった人たちに読んでほしい気持ちもある。でも、自分の身勝手でこれから消え去る人間に、救いはいらない。立つ鳥跡を濁さずってあるでしょ。あとね、遺書っていうものは本人が死んで数年経った後で発見されるのが一番魅力的で、流行りの言葉使うけどエモいんだよねw

本題に入ろう。僕はモバイルレジェンドをやめる。理由というのは、まあ自分の理想と現実が全く別だったというだけのことだ。僕は強くなったつもりでいた。だけどそうじゃなかった。勝つ試合は絶対敵が弱い試合。ちょっとでも強い人と当たったら負ける。ひどい時は敵が弱くても負ける。僕は時と偶然で勝敗が決まるカルタ遊びなんてごめんだし、そのカルタに勤しまざるを得ない自分の実力にうんざりしていた。結構野良に対して文句言ってたけど、一番変わらなきゃいけないのは自分なのは分かってた。でも、変われない。強くなれないんだ。強くなれなきゃ勝てない。勝てなきゃ楽しくない。なら、やめる。青バフを目の前にしたフィリピン人アウラドみたいな単純思考だろ?僕はこんな人間なんだ。滑稽だよな。ゲームでは罵詈雑言を浴びせてる対象と、リアルの人間性は変わらないって。人間って本質は一緒なのかもね。

こんな面倒くさい僕を受け入れて、一緒に遊んでくれた人。僕の目標であり続け、僕にモバレをやる価値を与えてくれた人。自分はやめるのは一瞬のくせに、やめないでとせがんだりした人もいたよね。僕は自分勝手な人間なんです。ごめんなさい。そして、たくさんの思い出をありがとう。

過去の僕の記事を面白いと言ってくれて、ブログ更新を楽しみと言ってくれた人、今知る馬の助の最初で最後に読む記事が遺書だなんてとんだギャグだよね。

最後に一つ。こんな言葉があります。

「出会いは神の御業、別れは人の仕業。」

さよならf:id:yaegashiumanosuke:20200719204151j:plain


辛いことがあったとき

辛いことがあったときは、実家から徒歩3分のコンビニ(田舎だから都会ほどやすやすとは行けない)に行って、2リットルのオレンジジュース、かた揚げポテチの大きいやつ、それから目についたなんかを買って、それを食べながら加藤純一さんのゲーム実況を見よう。

久しぶり、迷える子羊ども

 どうも、馬の助です。久しぶりにブログを覗いてみたらなんと最後の記事から140日ほどの期間が空いていました。驚き、などと綴っておこうと思いましたがそれは嘘だ。僕はもうここには戻ってこないとあの時決めたのだから。この空白の期間は僕の望んだ結末なのだから。ならどうして再びここに現れたのか。それは他でもない、これを読む君たちの足跡が僕にそうさせたのだ。少々叙情的な表現で惑わしてしまったかもしれない。あらましを言うと、観覧履歴をみると更新が途切れているにもかかわらず、少なからずここを訪れている人がいたということだ。僕の記事に需要などあるようには思えないが誰かがこの記事をみてくれている。そんなちっぽけな事実が僕の胸倉を掴み上げ、再びここで筆をとることを脅迫したように感じた。僕はその脅迫に快く応じよう。久しぶり、迷える子羊ども。さあ、扉を開けよう。

床屋行ってみた

陰キャラにとっての試練とは何だ。そう、散髪だ。

チャラいお兄さんお姉さんがカットを務め、それを利用する客層もまたオシャレに一枚二枚噛んでいるのは火を見るよりも明らかだ。この陰のとりつくしまが1ミリもないキラキラな空間、カラオケをおしのけ、リア充の多い施設選手権シード待ったなしのこの施設、僕にとっては地獄に他ならないことはおそらく3歳児でも容易に理解できるだろう。

しかし、しかしだ。いくら地獄が嫌だからといって死を避けることができようか。散髪に行かないと大学のやつらにブロッコリー移植人頭サイコショッカーと陰口を叩かれるのは逃れられぬカルマ。僕は行くしかなかった。

そこで僕は妙案を思いついた。確かに僕は陰キャラで、見た目もモッサリ系で、床屋になんかいったら恥をかくに違いない。それを逆手にとるんだ。僕は架空の人物を演じることにした。設定は高校生で文芸部所属。志望は東京大学。これなら見た目のモッサリ感も打って変わってガリ勉オーラと見る者も錯覚するだろう。

いざ入店。相変わらず前述の通りキラキラしてる。僕なんかじゃ門前払いされても文句は言えない。しかし大丈夫。今の僕は僕じゃない。東大志望の架空の高校生だ。恥はこいつが盾として受け止めてくれる。やってやるよ。こいよカットマン。トークショーのお時間だ。

しかし席につきカットが始まると入店時の余裕とは一転、頭の中は混迷の様相を呈する。カットの注文を聞かれた際、挙動不審になり、語彙力の低下が著しく発動し、ススススッキリぃ(当時を忠実に再現)などと意味不明な供述をしてしまった。その場は凍りつき、誰もが僕を患者を見る目で睨む中、僕は鏡に映った哀れなブロッコリーとのにらめっこで現実逃避を図っていた。                    

                                                               完



ストーカーダメ絶対

喧嘩して縁を切ったフレンドに再び近づくため、名前と国旗を変えました。ただこれを変えるのにはお金がかかり、3600円つぎ込みました。 

この話を他のフレンドに相談していたのですが、そのフレンドは僕のことをストーカーと罵り、このままいけば犯罪者になると言われました。

だけどね、僕は言いたい。たしかに僕はおかしいかもしれない。たかがゲームのフレンドともう一度やり直したいからってお金や手間をかけて。でもさ、現実で君達も同じことをやっているんじゃないか?友達だったり恋人だったり関係を修復するためにストーカーみたいにツイッターをのぞいたりしてるんじゃないの?例えしてないとしても僕は間違っていない。間違っているのはお前らだ。友情、女のために恥もプライドも常識も捨てれない男なんて力を抜いて田になってしまえ。僕はお前らみたいな俺は全然余裕だしみたいな顔でクールに構えてるのがカッコいいと思っている奴らは一回太平洋を自由型で泳ぎ切ってほしい。根性たたき直せ。

俺はストーカーといわれようと止まらない。