夢とは

今回ぼくが語るのは夢についてだ。夢といっても将来はサッカー選手!とかそんなんじゃなくて、寝ている間に見る夢の方だ。これについて、僕が小学生の時に経験した事柄から、夢の驚くべき本質について推察してみたいと思う。

最近、ぼくがはまっているシュタインズゲートというアニメ(原作はゲーム)では、夢は自分の別の世界線の記憶の断片というロマンチックな性質をはらんでいるようだ。しかし、皆が思うように世間一般では夢とはまあ、幻のようなものだとみなされていると思う。しかし、ぼくが小学生の時に見た、とてつもない夢について、ぼくなりに考察してみると、シュタインズゲートにも劣らない驚くべき夢の実態がみえてくる。これから話すぼくの見た夢というのは、絶対に妄想なんかじゃなく、曖昧な記憶がつくりだした幻でもないことを誓っておく。

2008年のある日、当時小学生だったぼくは今みたいに昼夜逆転もせず規則正しい時間に寝ていた。そんな日の深夜、大地震がおきる。世に言う「岩手県沿岸北部地震」だ。ぼくは突然、大きな揺れに襲われ、目を覚ます。そこはぼくの家よりはちょっとぼろい、木造の部屋の中。相変わらず激しい揺れは続いているーーー。体がびくっとする。目を覚ます。そこはいつも通りのぼくの寝室。おわかりいただけるだろうか。地震に揺られ見知らぬ部屋で起きたのは夢だったのだ。あーびっくりした。寝よう。そしてぼくが布団に入ると、激しい揺れに襲われる。今度は現実の揺れだった。

これをきくと、皆はまず予知夢、を思い浮かべるだろう。しかしぼくは違う視点からこの出来事を見ている。理系ではないから詳しいことは言えないが、地震の揺れがある地点からある地点までに到達するには数秒の時差がある。ぼくが夢の中で揺られ目が覚め、再び現実でも揺られるまでの体感の時間は10秒〜20秒だったと思う。もう何を言いたいかわかるだろう。ぼくの見た夢というのはぼくの地域よりも先に揺れが到達した地域の誰かの意識なのではないかとぼくは考えている。つまり、夢、という空間では誰かと意識を共有しているのではないか。思えば夢では確かに自分と縁のある人物が出てくることはあるが、自分が自分であると認識できているだろうか。ぼくは夢の中で自分の名前を言ったことがないように思える。その共有状態が、地震という突発的かつ明快なトラブルによって破られ、ぼくの手によってその本質の一部を暴いてしまったのではないかと手に汗を握らずにはいられない。

この記事が世界の裏を管理し、その秘密を探ろうとする者を消す組織の目につかないことを祈るばかりだ。